テキトーすぎるマンガ・八上城の悲劇物語 〜あいたい兵庫・ブロガー100人戦国トリップ

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あいたい兵庫・ブロガー100人戦国トリップ企画にて訪問した、丹波篠山のおハナシ続き。
今までのおハナシはこちら>
「あいたい兵庫・ブロガー100人戦国トリップ」企画にて、丹波篠山へ旅行してきました!
山城なのだから、ウェルカムな立地なハズがない… 〜あいたい兵庫・ブロガー100人戦国トリップ
さて、「主膳屋敷跡」を過ぎると、道はいきなり山道に!

いきなりですかーーーーー!?
それでも、階段があるだけまだマシなのよね、きっと。
戦国時代はこんなのなかったはずだから…orz
しばし、苦しい道が続きますので(※苦しさは個人によります…たぶん山登り好きにはちょろい道だと思う…)、ざくっと八上城の歴史的なハナシなど…。
戦国の世、多紀郡(篠山市)を5代にも渡って支配していた波多野氏。
乱世だからして、今日の味方は明日の敵、だったりするわけで。
波多野氏も織田軍・明智光秀に味方することもあれば、急に手のひら返して寝返っちゃうこともあったり…。
※さくっとテキトーすぎる説明なので、詳細は、ちゃんと歴史書を紐解くか、ぜひTOP > いざ!兵庫のおすすめ城たび100選のページでご覧下さい!
そんな中、あまりにブイブイいわせる織田軍を恐れた中国地方の毛利氏の働きかけもあって、波多野氏は織田軍と敵対することに。
織田VS毛利の戦いが激化する中、織田信長は、明智光秀に丹波平定を命じます。

攻めるも攻めたり、守るも守ったりで、なんと4年間に渡り攻防11回というから驚き!
明智光秀は、周囲をがっちり包囲して兵糧攻めをしかけるも、なかなか城が落ちないので、

年老いた母親を人質に差し出し、波多野三兄弟の身の安全を保証して投降させ,安土城へと送ったのですが…

えええーーーーーーー。

えええーーーーーーー。
波多野氏は滅亡、明智光秀のお母さんも磷付、八上城は落城。
戦国乱世の悲劇。
後の本能寺の変での明智光秀の動機について語られるときに、この時の母親を見殺しにされた遺恨説もささやかれますが、そんな単純なハナシではないのでしょう…。
未だにミステリー。
ところが、この逸話自体も後世の創作だとする説もあります。
確かに、いかにも信長っぽく、光秀っぽく、そして悲劇的な物語。
このあと綺麗なお姫様まで登場。ウケそうですもんね。
歴史は謎がいっぱい。だから面白いのかも。
ところで、磷付のハナシ。
イラストでは着物着せて十字架に磷付てますが、
モノの資料を見ると、大の字に磷付てたり、ふんどし一丁だったり。
確かに大の字の方が安定します。
よくあるキリストの磔刑図だって、あれでは実際固定できないって本当かな。グロくてごめんなさい。
で、なかなか正視に耐えない資料や画像(明治期?)が残されてたりします。
さすがにあんまりグロいイラストは描きたくないので、史実は無視してこんなイラストになってます。ごめんなさい。
ちなみに波多野氏の鎧兜の資料もないので、頭に家紋がついてます。ごめんなさい。
そんなこんなハナシをしているうちに、山道はいつの間にかちょっと開けたちっちゃな広場のようなところへ辿り着きます…。

延々と続く…。

あいたい兵庫・ブロガー100人戦国トリップ

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