篠山城・大書院を巡るおハナシ 〜あいたい兵庫・ブロガー100人戦国トリップ

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あいたい兵庫・ブロガー100人戦国トリップ企画にて訪問した、丹波篠山のおハナシ続き。
ブロガー100人戦国トリップのカテゴリを作りました。今までのおハナシはこちら>
さて篠山城にて、女子高生たちによるお茶のおもてなしを受けたあとのこと。

あ!鎧だー!
篠山城では甲冑体験(無料)ができるとのこと。
この日もお客さんたちが鎧を着ては、城のアチコチで撮影を楽しんでいました。
面白そう!と思ったのですが、着物の上からではもこもこになりそうだったので断念。
残念やったわ〜。
黒塗りピカピカの鎧は樹脂で、出来るだけ軽く作っているのだそうです。
当時の鎧そのまんまだったら、とてもじゃないけど気軽に体験!なんて無理だったでしょうね(^^;;

さて、この鎧の手入れをされていらっしゃるのは、篠山市内の4文化施設(篠山歴史美術館・武家屋敷安間家資料館・青山歴史村・篠山城大書院)のスタッフの方でした。
今回、あいたい兵庫・ブロガー100人戦国トリップ企画で篠山城にお邪魔していることをお話しすると、場内を案内してくださることに!
※ガイドは、通常のコースだとだいたい30分程度。希望があればそれに沿った案内も可能だそうです。
混雑することもあるので事前予約がおすすめ。

さて、篠山城。
先ほど登った八上城を中世の山城だとすると、こちらの篠山城は関ヶ原の合戦後に、徳川家康が全国の諸大名に命令して行わせた天下普請の大工事で築かれた平山城(平野の中にある山・丘陵等に築城された城のこと)。
八上城は戦争時には難攻不落の優れたお城であっても、交通の要所・篠山をしっかり治めるにはあまりにも不便。
そんな訳で、篠山盆地の中央の丘陵地に築かれました。
縄張(基礎設計)を担当したのは、築城の名手と呼ばれた藤堂高虎。
この藤堂高虎、どうもあんまりイメージがよろしくない…あっちの主君に付き、こっちの主君に付き。
なんだかコウモリ的と言うか、日和見主義と言うか。
本人も「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と開き直っちゃったとか。ホントか!?
現代だって、有名人ともなると言った覚えのない言葉が週刊誌にまことしやかに書かれているといいますし。
うーん。
私の一番好きな小説、隆慶一郎の「影武者徳川家康」でも、清々しいほどにコウモリっぷりを発揮してます。
まあ、これはフィクション度の高い物語だからね…(^^;;

でも考えてみたら城の縄張なんて、最重要機密を信頼できない相手に任せるなんてことは、ちょっと考えられない。
徳川家康の信用を得た、コウモリだけじゃない藤堂高虎。興味津々。

藤堂高虎を主人公とした火坂雅志の「虎の城」 を今取り寄せ中。
そんなことを考えながら、復元された大書院内を歩きます。
大書院は、篠山藩の公式行事などが行われ、城主がお客様や使者と対面した重要な建物。

お客様は先日アップしたこの画像の門から入り、(門は閉鎖されているので、仮定ね)

このお白州へ。
正式にはお客様は牛車で入ってくることになっていたけれど、実際にはあまりに大げさで物入り?なので、牛車でなかったこともおおかったのでは?とのこと。
左手の車寄(牛車を乗り付ける場所)は、保存のために板戸が閉められていますが、内側から見るとこんな瀟洒な造り。

そしてね、びっくりしたことにこの扉が、蝶番なのですよ!

こんな感じ!
(車寄せの扉は開けられないので、これな同じ造りの別の扉です)
ああ、でも門の扉なんかには蝶番が使われているので珍しいものではないのか…室内で見かけることが珍しいような気がしていました。
それにしても私、話が長いわ。
さて、車寄せから入ったお客様は、そのまままっすぐ繋がる次の間から上段の間へと。

次の間。

※画像をクリックすると、別ウィンドウで大きな画像が開きます

そして、上段の間。
大書院に入って目を奪われたのが、素晴らしい障壁画の数々。
この大書院を復元するにあたって往時の雰囲気を出来るだけ再現するために、大書院が建設された当時・江戸時代初期の狩野派絵師が描いた屏風絵を転用したのだそう。
新しく描かれた障壁画では、きっとこの雰囲気は出ないでしょうね…!
映画やドラマの撮影も行われているというこの大書院。最近では「女信長」などもここで撮影されたのだとか!
ええー!ドラマ見たけど、どこだったんだろう!?
これからはドラマや映画を見るときに気になりそう。
しかし、撮影には並々ならぬ注意を払われるそうで。
なんせ全ての障壁画が当時のホンモノですからね!
襖をバンッと手荒に開けて入ってくるようなシーンがあったら…???
ただでさえ、袂や裾も長く、刀やら、大きなカメラやら、出っ張ったものが多いですもんね。
ついうっかり振り返ってしまったりしたら…ガ━━(゚д゚;)━━ン!!
「あ!滑って転んじゃった!ばりっっっっ!!」なんてことになったら…ヤベ━━━━(;゚;Д;゚;)━━━━!!
なので、撮影時も障壁画から1メートル以内は立ち入り禁止!なんですって。
ところで、先ほどの画像。
多くのお城では絢爛豪華な天井画が描かれているものですが、次の間も、上段の間も、天井画がない。
実は大書院は、豊富な資料と綿密な研究を元に忠実に再現されている訳ですが、「実際に資料が残っていないものは、付け加えない」ことをモットーにされているそうです。
なので、天井画についても「あったであろう」ことはわかっていても、どういうものがあったのかという具体的な資料は残されていないため、あえてこのままにされているのだとか。

そう、大書院の横には広大な平地が。
ここには奥御殿があったのですが、平面図は残されているのですが、立体図が残されていない。
平面図から推測することは出来ても、不確かな姿で再現することをせず、あえてこのままの空間にされているのです。
潔いわ!!
もしかしてこの先新たな資料が発掘されるようなことがあれば、またいつの日か奥御殿が再現され、大書院とあわせて往時の姿を見ることが出来るようになるのかも…!?

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