あいたい兵庫・ブロガー100人戦国トリップ企画にて訪問した、丹波篠山のおハナシ続き。
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さて、ガイド氏に案内していただいて場内を回ったあとは、外へ。
この篠山城、今でも場内のあちこちに地盤の岩石が露出している部分があるように、とても堅牢な地盤の上に立てられているそうです。
例えば、大書院内から見えるこの石垣。
左手は、石が積まれていますが、
赤線でかこった部分は、元の地盤の岩石をそのまま石垣の一部としているのです。
そんな堅牢な地盤を掘って築城するのは、さぞかし大変なことだったでしょうね…。
しかも、井戸も掘らなくちゃいけないし。
だからといって、その岩盤の石をそのまんま石垣に使えるかって言うとそういう訳にもいかないようで。
ああ、大変!
篠山城の石垣に使用された石は、「車で10分くらいのところ」(石を徒歩で運んだらどんだけかかるの!?)の当時の採石場から運ばれたそうですが、そうやって運ばれた石たちに、とっても興味深いミステリーが…!!
庭をぐるっと歩いて行くと、大書院の裏手に埋門(うずみもん)という門がありましてね。
あ、写真がない…orz。
この埋門、急な階段を降りる、まるでアリ地獄のように埋もれた門なのです。
一段一段が極端に大きい、急な階段をキモノで下りるのはなかなか至難の業でした(><)
この門、有事の際には敵が侵入できないように埋めてしまうことを想定して作ってあるのだとか。
埋めるって簡単に言うけど、いくら小さい門だって言ってもねぇ。
どっからそんな土持ってくるのよ!?というと、
これは埋門のふち?に立って大書院と(今はない)奥御殿を眺めた画像なのですが、この右手にある築山(庭園の庭にある人工的に作った山)を崩して、埋めることを想定していたのだそうです。
えーーーー。
当たり前だけど、人力で…だよね。
埋める前に敵に侵入されそうやわ…。戦国時代人、どれだけパワーあるんだか。
戦争にかけるパワー、いろいろ考えさせられます。
この埋門の横手の石垣に刻まれた文字が。
画像だとわかりにくいかな…「三左之内」と読めます。
これは、篠山城の築城総奉行を務めた池田(三左衛門)輝政の刻印だとされています。
ところが、刻印はこれだけじゃないんですよね。
この刻印、本当は何のためだったのかはっきりとはしていないんですって。
採石場から運ばれる際の符丁だったのかも、とか
石を積む際に、積む場所をを間違わないようにした印だったのかも、とか
はたまた、天下普請で各地の大名が召し出された訳だから、「この石運んだのウチ〜!」「石垣のここんとこ積んだのウチやし〜♪」というような証だったのかも、なんて説もあるそうです。
その数150以上とも言われ、今なお全ての記号と数が把握されてはいないのだそう…!
そんなこと聞いたら!!
なんだか俄然、燃えて来たわ!!
…なんて言っても、この日はもうお日様が傾きつつあって。
後日、再度の訪問と石垣の符丁探しを胸に誓ったのでした!!
でもやっぱり気になる…ついつい目が探しちゃう。
あったー!
…って、自分でハマってるやーーーーん!!
埋門のすぐ脇にも!
この辺りはけっこう多いらしい。
アカン、こんなん探し出したらもう帰られへん…!!
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